Archives for the ‘ARTIST’ Category

MR. Oizo

[tab:profile] カンタン・ドゥピュー aka ミスター・オワゾはパリ出身の映像作家、音楽プロデューサー、DJである。 17歳で初めてのシンセサイザーを購入し音楽活動を、平行してイラストでのイメージ制作をはじめる。 フレンチ・エレクトロニックミュージックの祖、ロラン・ガルニエが彼の父親から車を譲り受けた縁で、その才能を見いだされ、ガル ニエのPV、『Flashback』を弱冠23歳でディレクションし、’99年に発表した、FLAT BEATはLevi’s のヨーロッパでのキャンペーンに使用され(TVコマーシャルも自ら監督を務めている)、全世界でいきなり300万枚のセールスをあげ、すぐさまアルバム『Analog Worms Attack』をリリース。 その後、アルバム『Moustache (Half a Scissor)』を経て、Justice で有名なEd Banger Records に移籍。自身の監督した初の長編映画『Steak』のサウンドトラック、をSebastian Tellier、SebastiAnらと制作。フレンチエレクトロのミューズ、UFFIEのプロデュースを経て、2009年最新アルバム、 最新作となる映画『RUBBER』では ご多聞にもれず、そのサウンドトラックをJusticeのGaspard Augéと共作し、話題を呼んでいる。『RUBBER』は2010年のカンヌでプレミアされた。 RUBBER SOUNDTRACK TEASER from oizo mr on Vimeo. Myspace / Official HP / Discogs [tab:MUSIC VIDEO] Mr Oizo – Positif [Lambs Anger] from Gian Franco Morini on Vimeo. [tab:PHOTOS] [tab:BUY]

Chromeo

[tab:Profile] Chromeo ピー・サグとデイヴ・ワンは思春期の頃から大の親友。クロメオと自らを呼ぶこの2人は歩くヒップホップ辞典であり、人類はじまって以来のアラブ人とユダヤ人による成功したパートナーシップである。デビューアルバム『She’s In Control』のリリース以降、世界中をツアーし、この惑星を魅惑的に支配する計画に着手したこの3年間。クロメオは2枚目のアルバムを制作するため、モントリオールにある実験室に舞い戻った。 実験の結果うみだされた『Fancy Footwork』はシンプルでスムーズ、心をつかまれる要素たっぷりの堂々としたラヴァーズ・ファンク。以前のアルバムからさらに彼ららしさが強調されている。何がそこまでそう“ファンシー”なのか?一歩引いて心を開けばマザラティ(Mazarati=1980年代半ばに結成されたR&B, ファンクバンド。プリンス&ザ・レボリューションのベーシスト、ブラウン・マークがリーダー)寄りのミネアポリスで蒸留された最高級のグルーヴが得られるだろう。ピーとデイヴはダンスミュージックの傷ついた魂を癒すために2007年に再び現れた。そして10代そこそこの恋人たち、20代のブログ&iPod愛好者、30代の元“レイバー”グラフィックデザイナー、40代のおねえさんたちもみんな一緒に楽しめるパーティをつくった。このパーティには名前があって、しかも火がついたような勢いがある。この“ファンク・ファイヤー”を燃やすのも消すのも彼ら次第。彼らの名はクロメオ。 アナログシンセの天才、ピー・サグは今もダボダボのディップセット(DipSet = NYのヒップホップグループ)Tシャツを着て、キーボードを通じて彼の言語を話し、本物のギャングスターの目つきをしているだろうか?もちろん今も。ボーカル/ギターのデイヴは今も1965年のフランス文学家のような装いをしているのか?今も踊らずにはいられないような音を出しているだろうか?もちろん! クロメオはずる賢い。クロメオはリバーブまみれ。クロメオはムーグのリフ、うっとりするようなハーモニー、マッチョなギターソロを奏で、そして本物の歌を職人技で書く。ダンスフロア向きのシングル『Fancy Footwork』や『Tenderoni』、自叙伝的なユダヤ人少年のバラード『Momma’s Boy』、アルバム最後を締める、サックスが印象的なエピック曲『100%』まで、アルバム『Fancy Footwork』はしなやかでメロディックな世界観を通して楽しめる。サングラスをかけてクールにダンスステップを踏みたくなるようなサウンド。クロメオが最初に出てきた頃、これはジョークでやっているのか否かという議論が巷でえんえんと続いていた。だが、その議論からクロメオを否定するようになった人たちをこのアルバムで完全に黙らせることができるだろう。彼らの音楽には何も皮肉っぽいことはなく、ホール&オーツがワルな車に乗りながらクインシー・ジョーンズに運転させている、そんな感じだ。ジョークなんかじゃない。 クロメオというバンドはよみがえった。セックス、ビート、夢、スーツ、手袋、笑い、涙、過去、未来をしょって還ってきた。それらすべてを巻いたデッカいハッパをピーのトーク・ボックスのチューブを通して吸い込み、君の脳を通して吐き出そう。お楽しみあれ。 Myspace / Discogs / Official HP [tab:listen] [tab:photo] coming soon… [tab:music] [tab:download] coming soon…

Laurent Garnier

[tab:profile] Laurent Garnier(ロラン・ガルニエ/2012) アシッドハウスがヨ−ロッパを席巻した1987年に伝説のクラブ、マンチェスタ−の“ハシエンダ”でキャリアをスタート。以来25年間、エレクトロニック・ミュ−ジックのシ−ンで常に重要な役割を担い、現在では世界3大DJの一人とも称される伝説のアーティストである。その長い活動を通じてレジデントパ−ティを行っている地元フランスのREXクラブでは、彼がプレイする夜に長蛇の列ができるのはもはやパリのクラブシーンの名物とさえなっている。ガルニエはデトロイト・テクノの巨匠からも、ラジオやDJセットで獲得してきた若いファン達からも、同様にリスペクトされる数少ないDJ/プロデューサーである。 略歴 フレンチ・ハウス、テクノの第一人者として、1994年にファースト・アルバム『Shot in the Dark』を、続いてアルバム『30』をリリース。シングル「Acid Eiffel」、「Crispy Bacon」はエレクトロニックミュージック史上に燦然と輝くトラックとなった。10万人が参加したといわれる’98年にパリで初めて開催されたテクノ・パレードでは、後世に語り継がれる伝説のセットを披露。2000年にリリ−スした3rdアルバム『Unreasonable Behavior』ではさらに成熟したサウンドで、これまでよりも更に幅の広い音楽性を打ち出すことに成功し、シングル「The Man with The Red face」はその年のベスト・シングルに選出された。2005年にはシネマティックな大作『The cloud making machine』をリリース。ダンスをまったく意識しない壮大な作品に仕上げ、同年のフジロックフェスティバルへ出演も果たし、日本最大のクラブageHaでもヨーロッパのダンスサウンドの狂乱を再現した。常に新しい試みに挑む彼は、渋谷WOMBでブラジルD&B界の雄DJ MARKYとドラムンベースセットでのバトルを展開。その後、ミュージシャンを引き連れ、アルバム『Public Outburst』のLIVEツアーも行った。House、Techno、Drum n’Bass、ElectronicそしてJazzの融合は新たな反響を呼び、今では一つのスタイルとなった。その年初めて執筆した、自叙伝『ELECTROCHOC』は日本でも翻訳され、80年代末のサマー・オブ・ラブからラヴ・パレード、そしてURやジェフ・ミルズへと続くダンスミュージックの熱い季節を忠実に描いた。2008年にはAme & Dixon主宰のInnervisionsより、「Back to My Roots」をリリースし、東京のホームグラウンドであった、Yellowのクロージングは日本のクラブシーンに残る伝説となるロングセットであった。その後もアルバム『Tales of a kleptomaniac』や世界最高峰のレーベル、Crosstown Rebelsからのシングル 「Just Muzik」をリリースするなど精力的に活動し、特に、ここ数年おこなっている、LBS(Live Booth Session)というスタイルではDJとLiveという二つのパフォーマンスを融合させ、ダンスフロアにまた新たな可能性を提案し、2011年のResident Advisorのランキングでは第7位を獲得した。 ロランガルニエがDJをするその夜、何か特別な瞬間が必ず生まれるのは、世界中今も昔も変わる事がないである。 1997年の代表作「Flashback」のCHRISTIAN SMITHによる2011年のRemix Laurent Garnier – Flashback (Christian Smith and Wehbba Remake)   [tab:MUSIC VIDEO] LAURENT GARNIER Flash_Back_vcd 投稿者 […]